浅草花やしきの歴史2
花屋敷は、戦時下において徐々に規模を縮小し、まず1935年(昭和10年)に仙台市立動物園に動物を売却し、1942年(昭和17年)には強制疎開によりついに取り壊されました。
戦時中松竹の関連会社となりますが、戦後の1947年(昭和22年)東洋娯楽機との共同経営で再び開園し、遊園地「浅草花屋敷」と改名、2年後には東洋娯楽機に経営が委ねられ「浅草花やしき」と改名しました。
当時のアトラクションは、豆汽車、紙芝居、回転ボート、そして現在園内に残る一番古いアトラクション「ビックリハウス」などがありました。
そして1953年(昭和28年)のローラーコースター、1960年(昭和35年)のBeeタワーなど現在あるアトラクションが登場し始めます。
Beeタワーは、登場した当時は「人工衛星塔」という名前で、浅草一の高さを誇りました。

また花やしきは長らく入園料を取らず、利用する施設ごとに回数券などで料金を支払う形を取っていましたが、1985年(昭和60年)の風営法改正に伴い回数券とは別に入園料の徴収を開始しました。
平成2年「夜の貸し切り花やしき」が始まり、平成8年には日本初上陸の絶叫マシン「スペースショット」が導入されました。
2004年(平成16年)にトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、バンプレストの子会社、株式会社花やしきが8月31日にその事業を承継しました。
2007年(平成19年)3月10日には、10年ぶりの大型アトラクション「ディスク・オー」がオープンしました。

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